フランス · 第I軍団指揮官
ジャン=バティスト・ベルナドット

ナポレオン軍の元帥でありながら、最後は敵側に回った異色の経歴。皇帝との関係は終始きしみ、イエナ=アウエルシュテットでは無為に動かず叱責された。
1810年にスウェーデン王太子に迎えられると立場は一変する。ライプツィヒでは連合軍側として、かつての主君を破る処方箋——トラッヘンベルク計画(皇帝本隊との決戦を避け、各個に元帥を叩く)——の策定に加わった。師の手の内を最もよく知る弟子が、師を狩った。外から来た敵ではなく、内側を知る元帥が処方箋を書いたのである。
登場する戦闘
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1805-12-02
アウステルリッツの戦い(1805年)— 敵を動かして勝つ「状況設計」の最高傑作役割:第I軍団(中央予備)
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1806-10-14
イエナ=アウエルシュテットの二重会戦(1806年)— 決定的な戦いは、皇帝がいない方で起きた役割:第I軍団(両会戦のどちらも支援せず)
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1809-07-06
ワグラムの戦い(1809年)— ナポレオンの「方法」が芸術から消耗戦へ転回した日役割:第IX軍団=ザクセン(アーダークラー放棄→解任)
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1813-10-18
ライプツィヒの戦い(1813年)— 中心を握る天才が、連合の数に包み込まれた「諸国民の戦い」役割:北方軍(元仏元帥・トラッヘンベルク立案者の一人)