フランス · 第V軍団指揮官
ジャン・ラン

ガスコーニュの染物屋の徒弟から元帥に昇った、突撃と前衛の名手。勇猛さと確かな戦術眼を併せ持ち、ナポレオンが最も親愛を寄せた将の一人である。
フリートラントでは、わずか1.7万で増え続ける敵を半日にわたり拘束し、皇帝が各軍団を集結させる時間を作った——少数で敵を釘付けにして決戦の条件を整える、軍団制の頑健さを体現する働きだった。1809年のアスペルン=エスリンクで両脚を砲弾に砕かれて戦死。ナポレオンが公然と涙を見せた数少ない死である。
登場する戦闘
-
1796-05-10
ロディの戦い(1796年)— 橋頭堡強襲と「小さな伍長」の誕生役割:第二波先頭
- 1800-06-14
-
1805-12-02
アウステルリッツの戦い(1805年)— 敵を動かして勝つ「状況設計」の最高傑作役割:第V軍団(北翼)
-
1806-10-14
イエナ=アウエルシュテットの二重会戦(1806年)— 決定的な戦いは、皇帝がいない方で起きた役割:第V軍団(イエナで先陣)
-
1807-06-14
フリートラントの戦い(1807年)— 条件が戻ったとき、ナポレオンの「方法」は完成形に帰った役割:前衛(半日の拘束戦)