フランス · 第IV軍団指揮官
ジャン=ド=デュー・スールト

ナポレオン軍屈指の戦術家。その名を不滅にしたのはアウステルリッツである。
皇帝があえて譲ったプラッツェン高地——敵がそこを降りて手薄になった瞬間、スールの軍団が霧の中を駆け上がって中央を奪い、戦場を南北に分断した。「敵を誘導し、空いた中心を突く」というアウステルリッツの設計を、現場で執行した手である。ワーテルローでは参謀長を務めたが、ベルティエの精密な指揮支援には及ばなかった。
登場する戦闘
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1806-10-14
イエナ=アウエルシュテットの二重会戦(1806年)— 決定的な戦いは、皇帝がいない方で起きた役割:第IV軍団(イエナ右翼)
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1807-02-08
アイラウの戦い(1807年)— ナポレオンの「方法」が初めて決着をもたらせなかった日役割:第IV軍団(中央を保持)
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1815-06-18
ワーテルローの戦い(1815年)— 天才一人に依存したシステムが、冗長性を失って崩れた日役割:参謀総長(ベルティエの後任・曖昧な命令)