戦争・戦役

ナポレオン戦争は、いくつもの戦争と戦役の連なりでできている。戦争は国家間の対立そのもの(第三次対仏大同盟戦争など)、戦役はその中で一つの戦域・期間に区切られた作戦の連なり(ロシア遠征など)を指し、会戦はその中の一日である。ここでは戦争と戦役を単位として並べ、それぞれが何を賭けた戦いだったのかを構造から読み解く。

第一次イタリア戦役

26歳の将軍が、給与も欠いた軍で北イタリアのオーストリア軍を連破した19か月。発明されたのは勝ち方だけではなく、勝利を本国が手放せなくなる資本に換える回路だった。

第二次対仏大同盟戦争

本人がエジプトにいる18か月で1796-97年の成果が消え、戻ってきた男がマレンゴで危うく取り返した戦争。だが講和を強制したのは、別の将軍の別の勝利だった。

第三次対仏大同盟戦争

ウルムの包囲降伏からアウステルリッツまで、わずか3か月で大陸の勢力図を塗り替えた戦争。敵を撃つのではなく、敵に動かせたいように動かせた。

第四次対仏大同盟戦争

プロイセンを19日で崩し、東プロイセンの泥と雪で停滞し、フリートラントで決着した戦争。軍団制というシステムの強度が、三つの会戦で連続して試された。

第五次対仏大同盟戦争

アスペルン=エスリンクでナポレオンが初めて会戦に敗れ、ワグラムで物量によって勝ち返した年。機動の芸術が、火力と数の押し合いへ変質した。

ロシア遠征

史上最大級の軍を集めながら、決定的勝利を一度も掴めなかった遠征。敵が土地ではなく軍を守ると決めたとき、会戦の勝利は戦争を終わらせなくなる。

第六次対仏大同盟戦争

連合軍が「本人がいる軍とは戦わない」という一行の規則を採った年。本人が出た会戦は勝ち続け、元帥の軍は連敗し、戦域全体の収支だけが負けに傾いていった。

百日天下

エルバ島を脱した皇帝の最後の戦役。中心位置の図面は6月15日に成立していた。崩れたのは構想ではなく、それを実物に変える工程と、それを担う人の層だった。